令和6年9月15日。
私はアイアンマンジャパン南北海道を14時間かけて無事完走し、晴れてアイアンマンになりました。
この挑戦を決めた当時の記事はこちら。そして完走後の「後日談」も追加しました。
今回は、アイアンマンに出る前と出た後の心境の変化についてお伝えしたいと思い、記事にしました。
アイアンマンみなみ北海道とは
アイアンマンジャパンみなみ北海道は日本において、約10年振りに開催されたトライアスリート待望のロングレース。
基本アイアンマンはアメリカが発祥の海外のトライアスロン大会の名称でありもはやブランド。
海外発祥ということで国内での開催は数えるほどしかなく、海外でのレースがほとんどなので、為替の影響もあって渡航にかかる莫大な費用を考えれば、国内での開催は非常にありがたいです。
現に私も当時はそう考えて迷うことなくエントリーしました。
と言いたいところですが。
正直なところエントリー費だけでも思っている以上に張りましたし(ドル払いなので)、
それプラス交通宿泊費、飲食費…。
全く迷いはなかったかといえば嘘になります。軽く見積もっても総額50万は行くんじゃないかな・・・。
しかし私の場合はそれを度外視してでもエントリーする理由がありました。
アイアンマンのエントリーを決めた理由
私の場合は大きく二つでした。
まずは、レースを完走できる体力があるか。
当然これがクリアできなければ、中途半端な思い出作りで終わることとなります。
もちろん、挑戦・参加することには意義がありますが、途中で終わってしまっては無謀というか無計画もいいところ。
単純な調整ミス、練習不足なわけですから、どんなに御託を並べたところで。
完走できなければ、私にとっては単純にカッコ悪い。
絶対後悔する。
もしかすれば、1回出てまた出場しようという気持ちさえなくなるかもしれないし。
それでも、私は行けると思っていました。
一昨年にミドルの距離を完走していたので、ペース配分と補給を誤らなければ完走はいけるだろうと判断しました。
とは言っても、ミドルはロングの距離(スイム3.8km、バイク180km、ラン42.2km)の約半分。
これまでロングの距離を完走した経験はありません。
なのでアイアンマンレースを完走できる自信があるというよりは、過去の自分と比較して、今の体力が歴代で高い水準にあり、歳をとって体力が落ちる未来よりも今の自分の方が完走できる見込みが高い、というように考えました。
より正確に言うなら、
今の自分の体力で完走できなければこの先到底達成できるわけがない、行くなら今しかない。
と思いました。
さらに、当時アイアンマンの発表があった時期は、私にとってベストなタイミングでもありました。
これが1番の理由です。
生涯トライアスロンをやるなら、いつかはアイアンマンレースに出て完走してみたい。
ある時アイアンマンのYouTubeを見ながら、漠然と頭に浮かんだ目標。
まぁいつになるかはわからないけど、いつかは出てみたい。
そんなふうに思っていたら、わりとすぐのタイミングでサプライズ発表がありました。
アイアンマンが10年振りに日本で開催される。しかもある程度土地勘のある南北海道で。
国内で開催されるなら出るしかない。
もはや運命すら感じました。
全く計画していなかったので、当然費用を貯金して・・・、なんてことはしていませんでした。
費用については何とかなる。
その確証はないものの実際何とかするしかないし、決めた以上やれることは全てやるつもりで、総額は具体的には計算せずにエントリーしました。
お金がいくらかかるとか、考えてはならない気がしました。
お金を理由にパスしたら2度と参加できないような気がしました。
自分がどうしたいか。
→人生のうち、一度はアイアンマンに出場して完走したい。
お金はどうするのか。
→そんなもん頑張って何とかするしかない。
休みは取れるのか。
→何ヶ月も前から言っておけば取れるっしょ。
これらの選択を迷っているようでは、いつまでもアイアンマンに出ることはできなかったと思います。
その考えは正しいとか間違っているとか。
現実的か非現実的とか。
コスパがいいとか悪いとか。
違うんです。大事なことはそこじゃない。
まずは、自分がどうしたいか、どうなりたいか。
そこにたどり着くための手段はゴールから逆算して考えればいいし、走り出せば何とかするしかない。
やる前から(少なくともお金や手段で)迷うな。
何事にもこの考えは通じると思いました。
実際、これをやり遂げてから大抵のことには動じなくなりました。
そう、結果として何とかなったからです。
出場を決めた当時の心境
まず当時の家庭事情としては待望の第一子が生まれた直後でした。
それはもう嬉しかったですが、それ以上にアパートが狭いから家を購入するわリフォームはするわで、とにかくもうてんやわんやで。
子供が生まれることが決まった2023年は、アイアンマンと同じくロングの距離であり国内屈指の大会でもあり、以前から出場を検討していた佐渡トライアスロンを見送りました。
そりゃそうですよね。
さすがの私も子供が生まれる大事な時期に、遠征までしてトライアスロンの大会には出場しようとは思いません。
家族を犠牲にしてまで自分の趣味を謳歌しようとは思いません。
(それでも妻からすれば十分謳歌している、と未だに言われます。申し訳ありません。)
佐渡トライアスロンの出場を見送ったすぐ後ということもあり、開催日は翌年の9月。生まれた直後は無理でも、子供が1歳になるタイミングなら行けるだろう、と決心。
妻には自分の気持ちを打ち明け、
「ごめん、俺、このアイアンマンみなみ北海道に出場したい。1歳になる子供をゴールで抱えたい。」
とエントリーを決めました。
家庭よりも趣味を選ぶ最低な男
前言撤回します。
私、やっぱり家族よりも趣味を謳歌してました。ゴメンナサイ。
格好つけて申し訳ありませんでした。
にもかかわらず、特段の反対意見も言わず、
どうせ出るんでしょ?出れば?と快く送り出してくれた(諦めた?)妻には本当に感謝しています。
さらにロングの大会に出るには、TTバイク(トライアスロン専用バイク。約100万円します。)も必要、というか必須。ということで即決断しまたまた妻に快諾(諦め)を得てこれも購入。
もはや値段なんて計算していない。計算すれば購入できなくなるから。
こうやって文字に起こすと、いかに当時の自分が妻にとって最低な男だったのかが分かる。
普通に考えれば、承諾なんて絶対にしない。
しないだろう、ではなく、絶対にしない。
身重で10人の女性がいれば、間違いなく10人とも反対するはず。
それなのに承諾してくれた妻の心情たるや・・・、
計っても測っても、計り知れないほどの寛容さを察しても察しても有り余る。
むしろ有り余りすぎて理解できない。
もし自分が妻なら絶対に承諾しないだろう。下手をすれば離婚案件だよ。
改めて私にとって最高のかけがえのない唯一無二の妻であることが分かりました。
本当に心の底から妻に感謝します。
足を向けて寝られません。
周囲の反応
ご家庭をお持ちの方からすれば、クレイジーな決断だという人もいると思います。
子供生まれたのに実際何考えてるの?と多くの人から言われました。
それも分かっていたので、エントリー直後はあまり周囲に多くは語らず。
ただし、大会の開催が近づいてからは自分という人間をわかってくれている近しい人たちには宣言して、自分を追い込みました。
もう完走するしかないよ、完走できなかったら恥ずかしいからね?
幾度となく妻に煽られました。
煽られるたびに練習しました。妻と子供を犠牲にしない程度(主観)に練習しました。
多い時でも週3〜4回。
週末の練習会(ラン&スイムまたはバイク&スイム)にはなるべく参加して、遠出まではせず。
また、今は変わってしまったドクターストレッチの当時の担当にも応援され(煽られ)ました。
ストレッチに行くたびに涼しい顔で、
そのままでいいんですか?大丈夫ですか?完走できますか?練習足りてますか?
う・・・、やばい練習しなきゃ、とできる範囲で、無理に追い込まない程度に練習しました。
私の中では怪我をすることが一番効率が悪いと思っているので、怪我をしそうな時は無理せずに休みました。
その間も少なくとも二人から応援され(煽られ)続けました。
無理しないほうがいいよ、なんて優しいセリフは誰も言ってくれません。
アイアンマンに出る人がそんなんでいいのか?
そんなに甘い世界なの?
みんなもっと練習してるんじゃないの?
えぇ、そりゃあもう。
アイアンマン出場を控えた私にとっては、すごく良い、最高の環境だったと、今は思います。
そして、家族で北海道へ
そんなふうに周囲から煽られながら練習を続け、ついにその日はやってきました。
妻と、1歳になった息子と一緒に北海道へ。
大会期間中は、家族でセンチュリーマリーナ函館に宿泊しました。
1歳の子供を連れてのIRONMAN遠征だったので、宿は単なる「寝る場所」ではありません。
妻と息子にとっては、私が一日中レースをしている間も含めて、北海道旅行の拠点になります。
だからこそ、選手目線だけでなく、家族が快適に過ごせる場所を選んだつもりでした。
宿泊したセンチュリーマリーナ函館は、函館駅や朝市にも近く、レースに出ない妻と息子にとっても動きやすい場所でした。
IRONMANのための遠征ではありましたが、家族にとっては北海道旅行でもあります。
自分の挑戦に付き合ってもらうからこそ、宿くらいは家族が楽しめるところにしたい。
そういう意味でも、この宿を選んだのは良かったと思っています。

センチュリーマリーナ函館の宿泊プランを見る
→
エントリーしたときには、まだずっと先のことだと思っていました。
「1歳になる子供をゴールで抱えたい。」
妻にそう話してから約1年。
本当に家族を連れて、IRONMANに出るために北海道まで来てしまいました。
今振り返ると、この時点ですでに結構なことをやっています。
仕事の休みを取る。
飛行機を取る。
ホテルを取る。
バイクを北海道まで運ぶ。
1歳の子供を連れて移動する。
そして私は、朝から晩までレースをする。
普通の家族旅行なら、まず採用されない旅行プランです。
それでも一緒に来てくれた妻には、本当に感謝しています。
私にとっては「人生最大の挑戦」でも、
妻からすれば、夫の趣味のために1歳の子供を連れて北海道まで行くわけですから。
やっぱり、どう考えても頭が上がりません。
そして、IRONMANになった
レースについては、ここでは詳しく書きません。
スイムを泳ぎ、バイクに乗り、最後にフルマラソンを走る。
ランの途中、何度も歩きました。
膝が痛くなり、歩くことすらままならない状態。
補給もうまくいきませんでした。
めちゃくちゃ用意したのに、それでも足りない。
想像していたより、ずっと苦しいレースになりました。
それでも、14時間以上かけてゴールしました。
念願だったIRONMANになるためにー。

ずっと「いつか」と思っていたことが、本当に現実になった瞬間でした。
……なのですが。
不思議なことに、ゴールした瞬間から人生が変わったわけではありませんでした。
IRONMANになった翌朝も、私は私でした。
急に強い人間になるわけでもない。
仕事ができるようになるわけでもない。
人生の悩みがなくなるわけでもない。
もちろん、完走したことは嬉しかった。
でも、私の中に残ったものは、想像していたIRONMANという称号そのものとは少し違いました。
「何とかなる」は、本当に何とかなった
エントリーするとき、私はこう考えていました。
お金はどうするのか。
そんなもん頑張って何とかするしかない。
休みは取れるのか。
何ヶ月も前から言っておけば取れるっしょ。
完走できるのか。
やると決めたんだから、そこから考える。
今読むと、だいぶ勢いで生きています(笑)。
でも、結果として何とかなりました。
正確には、勝手に何とかなったわけではありません。
お金を工面した。
休みを調整した。
練習する時間を作った。
バイクを買った。
北海道まで運んだ。
家族にも協力してもらった。
一つずつ、「何とかした」。
だからIRONMANを終えて自信になったのは、
「自分はIRONMANを完走できる人間なんだ」
ということ以上に、
「本当にやりたいことなら、どうやったらできるかを考えて、一つずつ何とかしていけばいい」
ということでした。
できるかどうかを全部確認してから走り出そうとしていたら、おそらく私はエントリーしていません。
走り出したから、何とかするしかなくなった。
そして、本当に何とかなった。
これは、その後の自分の考え方にもかなり影響していると思います。
ただし、一人で何とかしたわけではない
ここは、IRONMANになる前の自分より、なった後の自分の方がよく分かっています。
私は自分で決断して、自分で練習して、自分の脚でゴールしました。
でも、一人でIRONMANになったわけではありません。
練習に行く時間。
大会に行く時間。
北海道まで遠征するお金。
その全部が、自分一人だけで完結するものではありませんでした。
特に妻には、本当にたくさん負担をかけました。
当時の私は、
「家族を犠牲にしない程度に練習する」
なんて書いています。
しかも、(主観)とまで書いている。
今読んでも、この「主観」が非常に怪しい(笑)。
妻から見れば全然違ったかもしれません。
それでも、最後まで挑戦させてくれました。
だから、IRONMANになって一番変わったことがあるとすれば、
やりたいことをやるには、自分が頑張るだけでは足りない
と知ったことなのかもしれません。
アイアンマンになる前と、なった後
IRONMANになる前の私は、
「IRONMANになりたい」
と思っていました。
それは一つの大きなゴールでした。
でも、実際になってみると、それで何かが完成したわけではありませんでした。
むしろ逆でした。
一つの夢を叶えたことで、
「じゃあ、自分は本当は何をしたかったんだろう」
と考えるようになりました。
IRONMANという名前に憧れていた自分。
どうしても完走したかった自分。
家族を連れて北海道まで行った自分。
そして、実際にゴールした自分。
全部、自分です。
だから、あのときエントリーしたことを後悔してはいません。
むしろ、行ってよかったと思っています。
あのとき行かなかったら、IRONMANに憧れたまま、
「いつか出てみたい」
と言い続けていたかもしれません。
やってみたから分かったことがありました。
夢は、叶えれば終わりではない。
叶えてみないと、次に何を望んでいるのか分からないこともある。
IRONMANになった瞬間、私には新たな目標が生まれました。
それがどこなのか。
このときは、まだよく分かっていませんでした。
ただ、この北海道への旅から約1年後。
私はまた家族に送り出してもらい、今度は新潟県の佐渡島にいました。
そこで見ることになる景色は、
IRONMANになる前の私には、まだ想像もできないものでした。



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