いつからだろう。
子供の頃はあんなに楽しみだった誕生日が、憂鬱になったのは。
いつからだろう。
子供の頃は早く大人になって好きなことをやりたかった。
なのに今では年をとりたくないし、いつまで経ってもやりたくないことばかりやらされている。
いつからだろう。
そんな自分が嫌になったのは。
そんな自分を変えたい。でもどうすればいいのかわからないまま、漫然と日々を過ごしている。
自分の人生は、他でもない自分のもの。
誰かに自分の人生を決められる筋合いはない。
なのに、自分はここにいて燻っている。
全てを他人のせい、世の中のせいにして、ここで燻っている。
ここにいることを選んでいるのは、他でもない自分自身。
ここにいる理由は、生きていけるから、だ。
難しいことを考えなくても、わざわざリスクを取らなくても生きていける場所にいるからだ。
多くの人はその場所で人生の大半を過ごす。
それが普通なのだ、一般的なのだと思い込む。
その後、外的な要因によって、良い場所に上がったり、悪い場所に下がったり、外的要因がなければ基本的には現状を維持しようとする。
現状を維持できなくなりそうな時に、初めて慌てふためき、やっと行動するという火が灯る。
普通の人は、危機感がなければ、行動するという意思に火は灯らない。
自分が何もしていないのに、良い場所に行ける話しが舞い込む、なんてことはない。
そんなうまい話があるとすればそれは詐欺だ。
誰でも今よりもいい暮らしをしたいと思う。もっと良い環境に変えたいと思っている。
でも本気でそうは思っていない。
ただし、簡単に苦労せず、楽に、今よりも良い暮らしができるならどうだろう。
何人かは、グラッと来てしまうかもしれない。
グラッと来てしまう人は、詐欺の対象になりうる。気をつけた方が良い。
基本的に、周囲よりも良い環境に変えるためには、周囲と異なることをしなければならない。
環境の変化には、心と体にストレスや負担を伴うが、周囲からも変な目で見られることになる。
下手をすれば親からも。
だから行動に移すことができない。
もし失敗して今より悪くなるかもしれないというリスクをわざわざ選ぼうとは思わない。
ぬるま湯という今の環境から、少し暑い(もしくは冷たい)環境は、慣れるまで居心地がいいとはいえない。
体への負担、心への負担、周囲からのストレスもかかるだろう。
そう、環境の変化には、それに耐えうる体力が必要なのだ。
体力がなければ、あっという間に息切れするし、免疫力が落ちて病気や事故、怪我にもつながる。
体力とは運動生理学の分野では「全身持久力(スタミナ)」を指す。
全身持久力といえば、そう。
トライアスロンしかないじゃないか。
だから私は、ここにいる。
だから私は、アイアンマンに挑戦します。
令和6年9月15日 アイアンマン南北海道にて、アイアンマンになります!
それでは、また!
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